小澤弘昌の私設民俗資料館
(静岡県清水町の灌漑用水を中心とした民俗と歴史)
箱膳の話(日々雑感第3回より)
 これを読まれている方で箱膳をご存じの方は何人おられるだろうか?箱膳とはかつて、商家や農家などで用いられた膳である。大きさは大体1尺(30センチ)四方か8寸(24センチ)四方。箱膳の中には飯碗(ごはん茶碗)、汁碗、箸、湯飲茶碗が収納されていた。
この膳が使われるようになった時期は、このセットの中に飯碗(ごはん茶椀)が含まれていることから、近世以降と考えられている。また、この膳での食事については一人づつ、この膳を所有するため「食器はそれぞれ個人に所属する」という日本的な考え方を反映するものとされている。これに関連して、子供は一定の年齢になるまで(一般に箸揃えの儀式がすむまで)箱膳を持つことはできなかった。また、嫁入りには持参するものとされた。
 箱膳は農村においては主に囲炉裏を囲んで食事をした際に用いられていた。その特徴は食事が終わるときにタクアン(オコウコ)で茶碗、または塗り物のお椀の中を拭き取って食べ、その後に茶碗に茶を注ぐ。茶を飲んだ後は、布巾で茶碗や箸などを拭き、茶碗やお椀は裏返し、ふたをしめ、棚にしまうというものである。かつては水が貴重であったため、箱膳の中の茶碗やは毎日洗うわけでなく、時折洗うだけであった。中には大晦日しか洗わないという家もあった。
 ところで、この箱膳での食事は、いつごろまで続いていたのだろうか。私は今年の1月、清水町の伏見で聞き取り調査を行ったが、その際、囲炉裏を囲んで箱膳で食事がとられていたのは清水町域の旧東海道に面した地域では昭和10年代までということであった。同じことを泉郷の堂庭で聞いたところ同じく昭和10年代までであったことがわかった。また玉川で調査したところ、函南から嫁いできた女性が函南では昭和30年代までであったことを話してくれた。そこで他の地域ではどうかと思い「宮崎の民俗」の掲示板に書き込んだところ、管理人の渡辺氏、また愛知のトマソン氏から丁寧なお答えをいただいた。それによると宮崎では昭和50年代まで、愛知県では昭和40年代までということがわかった。特に渡辺氏には「宮崎の民俗」(クリック) に掲載していただいた。
 私は、そのことがとてもうれしく、母の実家に遊びに行った際、従兄にその自慢話をしたところ、昭和47年に私の曾祖母が亡くなる少し前まで箱膳の食事をしていたということを聞いた。私は急ぎ、今年93歳になる祖母にそのことを確認したところ、そうだということだった。意外にも自分の曾祖母が地元で一番最後の箱膳を使っていた人だとは。
 身近なところ、しかも私たちが気づかないところに、民俗はある。
※なお、箱膳について何かご存じの方がいましたら、『宮崎の民俗』または『泉郷』までお知らせ下さい。
参考文献 日本民具学会編『日本民具辞典』(ぎょうせい、1997年)
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