小澤弘昌の私設民俗資料館
(静岡県清水町の灌漑用水を中心とした民俗と歴史)


八幡神社と東海道

八幡神社と東海道


新嘗祭
 八幡神社は郷社となる以前から、八幡と泉郷六ヶ村以外の地域の人々からの信仰を集めていた。たとえば安政7(1860)年の「祭礼諸用覚帳」には獅子浜村、大諏訪村、小諏訪村などの浜方網元や沼津宿本陣などの有力者も供え物を奉納していることがわかる。
 また『清水町史 資料編W(近世)』には「八幡宮諸大名初尾帳」などから諸大名や旅行者が旅人が東海道を通行する際に通行の安全をこの神社で祈願したことが明らかにされている。特に沼津市の日枝神社とともに大阪城代・京都所司代の交替の際に、ここで道中祈願のためのお祓いが行われることが慣例となっていたという。さらに『清水町史 資料編W(近世)』には

東海道通行に八幡神社は大きな役割を果たしていた。箱根越えをした道中安全祈願は三嶋大社で行う方が良いと考えられるが、三嶋大社は武運長久を祈る神社であったので、役割分担ができていたのだろう。
と書かれている。続けて、この神社の地理的位置について同書は

清水町域は沼津宿と三島宿の間にあり、朝鮮人使節の通行では通詞が宿泊するなど、間(あい)の宿の役割も果たしていたものと思われ、八幡神社がその核となっていたと考えられる
と書かれている。
 このように、この神社は泉郷六ヶ村と八幡以外にも近世以降、箱根越えをする旅人からも信仰を受けていたことがわかるのである。
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