小澤弘昌の私設民俗資料館 (静岡県清水町の灌漑用水を中心とした民俗と歴史) ![]() |
||||
八幡神社への信仰 |
||||
岩崎氏以前の神職
「新しい型の神職」のもとでの祭祀へ 中世から近世にかけての氏神を中心とする祭祀団の成立について萩原龍夫氏は「近世祭祀団成立序説」という論文の中で
堂庭・湯川・的場・久米田・八幡等惣領守 と記されており、八幡神社がこれらのムラムラの「惣領守」と認識されていることがわかるのである。 同じ時期、西日本などの郷村社会においては、その指導者である名主・土豪たちが宮座のもとで毎年交替で祭祀を行なうようになっていた。そういった郷村祭祀の発達につれて、宮座の下で神社の祭祀を担当する専業の神職も出てくるようになった。その専業の神職となった人々が新たな教義としたのが、一五世紀以降発達してきた吉田神道であった。吉田神道は郷村社会との結びつきを強くする一方で、後北条氏をはじめとする多くの戦国大名からも支持を得ていた。これらのことの積み重なりが結果的に、全国の神社祭祀の祭祀団を宮座制から氏子制へと再編させたのである。 ただ、泉郷の場合、村落自治が始まるのが16世紀後半と西日本の同じような地域と比べて遅いことから、萩原氏の言う「古い型の神職」から「新しい型の神職」への変化が宮座やそれに相当する段階を経ずに行われたと考えられる。泉郷においては柿田の岩崎氏が吉田家とも関係のあったことから「専門の神職」=「新しい型の神職」であったことがわかる。つまり岩崎氏は由比氏の元で神職を務めていたのが土豪化し八幡神社の専業の神職であるとともに泉郷を中心とする「地域的一揆体制」の成員にもなったということなのである。 |
||||
次のページへ | ||||
入館案内へ | ||||
ホームへ |