小澤弘昌の私設民俗資料館 (静岡県清水町の灌漑用水を中心とした民俗と歴史) ![]() |
|
稲作農家の生活 | |
|
|
シロカキ かつて、泉郷の農民たちは朝5時に起床し、6時には田んぼに 入り、農作業を開始していた。10時には昼食をとり、午後2時にはオユウジ ャ(おやつ)を食べた。午後5時には農作業を終わりにしていた。シロカキ (代掻き)をした、その日に苗を植えないと土が固まり、苗が植えられなかっ た。そのため、馬のハナトリとシンドリの役目の人は作業を早く行うことを要 求された。シロカキには馬を2頭使っていた。現在は機械を使用するため、 地面が少し固い方が良い。 |
|
イイ かつては、田植えをするために、隣接する水田を耕作する農民たちで イイ(結)を結んだ。その目的は、それぞれの水田に交互に田植えを行うこ とであった。1つのイイは10人前後で構成される。その内訳は、ほとんどの 場合ソートメ(早乙女)5人・縄を張る人2人・馬のハナトリ(鼻取り)1人・シン ドリ(馬鍬を持つ人)1人である。シロカキを行うための馬は、馬を持っている 人から借りてきた。その費用(日当)は1日あたり、人を2、3人雇うことの出 来る金額に相当した。そのため、足りない費用はイイ返しといって労力で補 った。稲を植える作業を行ったのは主に女性であった。 |
|
マングワアライ マングワアライ(農休み)は6月30日と7月1日の2日間で ある。神社の清掃を行った後、休養をとる。この日はちょっとしたごちそうを 作る。田植えを終えてほっと一息といったところである |
|
稲刈り 稲刈りの時期になると、稲刈りの作業を行う人が不足する場合が あった。そのような場合、新潟や伊豆の田子(西伊豆町)から娘たちが、泊 まり込みで稲刈りを手伝いに来た。賃金は米であった。稲刈りの作業が終 わると泉郷六ヶ村の人々はリヤカーに米と荷物を積んで、沼津港まで彼女 たちを見送りに行った。 |
|
入館案内へ | |
次のページへ | |
ホームへ |