小澤弘昌の私設民俗資料館
(静岡県清水町の灌漑用水を中心とした民俗と歴史)



柿田川用水

沼津市泉水源地(清水町八幡、1995年)

関東大震災 大正12(1923)年、関東とその周辺を襲った関東大震災は小浜用水掛かりの地域にも多大
な影響を与えた。千貫樋が倒壊したのを先に述べた通りだが、この時、小浜池も渇水し、それから1、2年経
っても水量が復元せず、田植えをした後も稲作に必要な水が不足し箱根用水掛かり地域でない八幡・長沢・
柿田ではセギの付近では農民が交代で水番(見張り)をする有様であった。ゆえに、この3地区では、それま
で利用されていなかった柿田川の水を灌漑用水として使用することとなった。
 まず八幡・長沢が大正14(1925)年に30馬力のモーターを設置した(長沢揚水機)のを皮切りに柿田と
長沢の一部が昭和2(1927)年に20馬力のモーターを設置した(柿田揚水機)。
 これにより、それまで田植えの時期の水不足に悩まされた八幡・長沢・柿田の水田にようやく充分な量の
灌漑用水が供給されることとなった。
長沢・柿田用水組合 柿田川用水の使用開始後、長沢揚水機に頼灌漑される水田を耕作する農民たちは
長沢用水組合、柿田揚水機により灌漑される水田を耕作する農民たちは柿田用水組合を結成した。
以後、これらの組合が、それぞれの揚水機の維持・管理や用水路の維持管理を行っていた。平成3(199
1)年に、農家が減少して水田も含めた農地が減少し、残った農家の水に対しての負担が大きくなったことな
どから八幡にある沼津市泉水源地内に新たにポンプを設置した。これにともない長沢・柿田の両用水組合を
合わせて長沢・柿田用水組合が成立した。この用水組合には規約はなく、役員は会長・会計・幹事の3人
で、任期はそれぞれ1年である。
柿田川用水の協同慣行 長沢・柿田用水組合の柿田川用水の維持・管理のための協同慣行は、毎年5月
中旬に八幡・柿田地区の堀浚い、下旬に柿田地区の堀浚いを行う。堀浚いが終わるとポンプの運転を開始
し、9月下旬に運転を終了する。その間、6月に作付け面積調査を行う。
 現在、柿田川用水は沼津市水源地内にあるポンプから送水される。このポンプの操作と管理は水源地の
職員が行っている。柿田川の水利権は長沢・柿田用水組合にもあるので、水の使用料は沼津市に支払って
はいないが、ポンプ操作のための費用としての電気代(1反5000円づつ)を組合員から徴収し、支払ってい
る。電気代の余った分はポンプの補修代金として使われる。用水組合の役員には、ポンプが水を確実に汲
み上げているか確認する仕事がある。
さらに、この用水組合の役員には八幡の天神屋の付近にある分水セギで箱根用水の余り水を塞き止めて
柿田川の水とともに、八幡から長沢、または柿田の順で分配する仕事がある。八幡・長沢・柿田の水田は、
小浜池の枯渇以前は小浜用水の水と箱根用水の余り水を用い、その分の不足分を柿田川の水で補ってい
た。しかし、小浜池の水の枯渇以降は箱根用水の余り水と柿田川の水を半々に使用している。かつては八
幡の分水セギの調子があまり良くないために大雨の時などに水が逆流し長沢の小字久保田の民家が床下
まで浸水することがあった。それを防ぐため、平成3(1991)年に大雨の際に自動的で倒れるセギを作っ
た。用水組合の役員には、それを元通りに直す仕事もある。
 生活用水も農業用水の水路を利用している。用水組合では水田に被害を与えるような汚れのひどい排水
を流すことを許可しない(用水組合は農地を守るためにある)。また、農地を宅地に転用するときは用水組合
の承認が必要である。
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