小澤弘昌の私設民俗資料館
(静岡県清水町の灌漑用水を中心とした民俗と歴史)



CD版の前書き



丸池から見た富士山
 私と小澤君との出会いは、私が丸池かんがい用水土地改良区の理事長に就任した平成六年当時から始まったと記憶しています。彼は大学在学中から民俗学を専攻し、地元泉郷(丸池かんがい用水土地改良区)の歴史と民俗について、大変興味を持っていました。その頃から彼は丸池と、それに関する水利を調査するために度々、私の家を訪れるようになり、その都度、私は知る範囲内で、彼の質問に答えてきました。
 清水町の水田の歴史は古く、遠く天平時代に条里田が整備されたと聞いておりますが、我々の先祖が営々として守ってきた水田は、今失われつつあります。時代の波には逆らうことは出来ませんが、私たちは丸池のルーツを探り、先人の残した偉大な足跡に目を向けるべきだと思います。既に清水町立清水小学校が昭和39年発行した『清水町誌稿』や昭和56年に清水町教育委員会が発行した『清水町用水史』に、丸池用水のことが記載されています。
 水は稲作農家にとって『命』です。旱魃が続くと水争いが、しばしば起こりました。血の雨が降るような大きな水争いもありました。また厳しい重労働に耐え、今日に至った農家の苦難の歴史を忘れないで欲しいと思います。昭和40年代に入ると、急激な経済発展により地下水の利用が増大し、昭和30年代まで泉耕地百数十町歩の水田を潤していた丸池にも危機が訪れました。湧水が減少し、遂に枯渇してしまったのです。現在は、境川からポンプで揚水して水田の灌漑をしておりますが、こうした状況の下でも丸池用水の伝統ある水利は土地改良区の役員によって管理が続けられております。
 彼の研究論文(CD−ROM)は実際に丸池に係わる行事や作業に参加し直接農家の人々から聞き取ったものを細部に亘って記載しており、清水町・丸池かんがい用水土地改良区にとって貴重な資料として、高く評価したいと思います。
平成12年2月吉日
丸池かんがい用水土地改良区理事長古泉榮一
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