小澤弘昌の私設民俗資料館
(静岡県清水町の灌漑用水を中心とした民俗と歴史)



泉郷・徳倉郷の地形

 三島から泉郷を含む清水町の狩野川以北の地域の地形は、扇状地的地形である。堂庭ほか六大字の中の海抜15メートルの地点(久米田と戸田の境界線あたり)を境にして、その扇端部になる。そこから先は湯川、的場のあたりまでの水田はドブッ田といわれる湿田となる。
 また徳倉と沼津市大平地区の地形は後背湿地(バックマージュ)である。とくに徳倉は、その典型であり、地形も川に沿って自然堤防の中に集落・水田の順に形成されている。
 古来から人間の生活は自然から非常な影響を受けざるを得ない。もう少しつきつめて考えてみると自然に支配されているともいえる。その自然へのアプローチの方法については古来から二つの方法があった。一つは自然を克服するという方法で、もう一つは自然を利用するという方法であった。ヨーロッパ人の自然との付き合い方は前者にあたり、日本をはじめとする東洋人の自然との付き合い方は後者である。とくに稲作における日本人の水との接し方は、その典型といえる。つまり、水田耕作は水によりその成否が左右されるため、稲の生育期において少ない人間のみで水の管理はできないということである。稲作を成功させるためには人々は水を共有することによってまとまり、水路を確保するしかない、ということである。泉郷を中心とする人々の結びつきは、元々ひとつの生活空間だった領域に、灌漑用水を中心に人々が結びついたものであるが、人々はそれを良く理解していた。
※この部分については元常葉学園大学講師の故峰田清一先生のご助言によるところが大きい。峰田先生の御好意に深謝します。
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